建築日記~格ちゃんのひとりごと~

(株)環設計のブログです。 最近思った事や、建築に関する近況などを書いていこうと思います。




70歳 古稀の朝を迎えて :: 2019/11/11(Mon)

令和元年 11月11日 本日70歳、古稀の朝です。
60歳の還暦の朝に、大洗海岸で朝日を拝みつつ還暦の誓いをしたのを思い出して、
早朝の4時20分 家を出ました。途中から小雨となり、朝5時45分の到着時は本格的な雨となり
結局、10年前と同じく雨の中で、太平洋を眺めつつ 古稀の誓いをして来ました。
でもこの10年間で、生活が多少安定して来たせいか、又は年を取ったせいか…
ともかく、10年前のような感傷的な気分とは遠く離れて、<80歳までは仕事をします!>という
実に現世的誓いというとなりました。

という事で 10年前の還暦の誓いを懐かしく読返してみましたので、紹介させて頂きます

<還暦の朝を迎えて>
 平成21年11月11日早朝5時半、六十歳の還暦の日の出を見ようと大洗海岸に立った。
季節はずれの豪雨の為、日の出は見られなかったが目の前の海は40年前と変わらなかった。
ソウ40年前の同じ日、二十歳の誕生日の日の出を俺はこの場所で眺めていた。
70年安保闘争真っ只中でズルズルと日々を過ごす自分に嫌気が差し、
水戸の下宿先から六時間歩いてこの場所に辿り着いた。
そして日の出を見ながら、やはり早稲田の建築科に進もうと決断した、
あの時が今に続く俺の人生の幕開けだったのだと思う。
  
そして三十歳の誕生日に、養子先の家業の材木屋の跡継ぎになるのを嫌って飛出し
設計事務所を開業、叔父からは人非人と呼ばれ、車はあってもガソリン代は無く、
打合せに自転車で半年近く走り廻っていた。 
 三十二歳で養父母の反対を押切り結婚した為、養子縁組を解消され 
30年間慣れ親しんだ増渕から本姓の青木に戸籍が変更されたのもこの時だった。
長女を五歳で亡くした時は、何故娘が、何故我家が…と神も仏も恨み、
やり場の無い悔しさに酒をあおり,新興宗教に傾きかけた時もあった。
事務所開設して13年目で株式会社に法人化は出来たが、
経営は慢性的に苦しく 21年目には家主から期限付き撤去を求められた。
八方塞の中を金策に駆け巡り平成14年にヤット自分の事務所を持つ事が出来た。
しかし借金を返し終わったのはまだ一昨年の事だ。

まだまだ安定した生活は望むべくも無いが、でも苦しい時に手を伸ばしてくれ、
背中を押してくれる人達が何時も周りにいてくれた。
それは宇高の友人達でありロータリークラブや仕事仲間達であったな、
と思いつつ目の前の荒れる海を見ていて、何時の間にか森進一の<お袋さん>を口ずさんでいた。
歌と共に養母の顔が、思い出が走馬灯のように海に浮び涙がとめどなく流れ出した。
あなたが育ててくれたから今俺はここに生きている、というあまりに当たり前の事に本当に気がついた。

人生とは人に生かされ、人と生き人を生かす事ではないかと気付いた。
小さく言えば親に育てられ、妻と生き、子供を育てる事であり、大きく言えば社会や学校に育てられ、
仕事を通し社会と生き、仕事を通し子供達に明日を繋いでゆく事ではないかと思う。
この40年間、俺は有難いほど人に生かされて来た。
これからは人と生き、人を生かす事を目標に仕事を通して社会奉仕で生きてゆこうと誓った
人生第二幕の幕開けの朝となった。
 
正月早々叔父から、実父の写真が出てきたから取りに来いと連絡が入った。
自分の子供よりもまだ若い、軍服に軍刀を下げた22歳の凛々しい少尉姿の父の写真であった。
還暦を迎え、生れて初めて見た実父の写真に涙が止まらない良い正月を今年は迎えた。
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