建築日記~格ちゃんのひとりごと~

(株)環設計のブログです。 最近思った事や、建築に関する近況などを書いていこうと思います。




続・知覧を訪ねて :: 2020/11/10(Tue)

令和2年 11月10日  明日で71歳になります(^.^)/~~~
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知覧の特攻で戦死した若者たちが 皆一様に書き残したメッセージが 大きく分けて 二つあります
① 戦争が終わった後の日本をよろしくお願いします!と 後に続く我々に残した願いの言葉
②自分の両親や子供達の為に、自分は特攻に征く! 自分の死を無駄にしないで欲しい!と言う遺言

①の願いにに対して 写真の石碑が奉納されていました
 <手を振りて 知覧翔び征く特攻機 君の笑顔に 昭和責めらる>
この石碑が 戦争の責任を昭和に問う言葉なら、納得しますが
戦後の日本と日本人に向けての 言葉とすると、少し反論したくなります。
戦後、戦場から帰った父や多くの軍人の方々は、戦友の死を無駄にしまいと 必死に働いたと思います。
そして僅か20年足らずで 東京オリンピックを開催し、GNP世界第2位の経済発展を成し遂げてくれました!

戦後生まれの我々団塊の世代も、戦争の体験は無いものの 父の背中を見ながら 必死に働き
<オー猛烈!>等と言われながらも 昭和50年代、60年代を夜遅くまで働きました。
私は、胸を張って責められることは無い!と言えます。

②の自分の死を無駄にしないで欲しい!と言う遺言
に対しては 憲法 9条改憲反対運動に対して 問いたいです。
特攻で死んで行った若者達は <自分の国は、自分の家族は 自分の命で守る他ない!> と言う
当然の動機で逝ったのです。
難しい平和論や憲法論以前の、人間として至極当然の動機で行動したのです。
自分の国を、家族を守る為の軍隊を持つことが、なぜ違憲なのでしょうか?
自分の死を無駄にしないで欲しい!と言う遺言が 未だに実現出来ない
昭和、平成の時代こそ<責めらる>べきです。








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知覧を訪ねて :: 2020/11/09(Mon)


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令和2年11月7日(土) 長年の思いであった 鹿児島県の知覧特攻記念館を、70歳の思い出として訪ねました。
正直に言って 言葉になりませんでした。
特攻で散った多くの若い、17歳~24歳の本当に若い特攻戦士の 最後の手紙を
1通読んでは目を閉じ、また1通読んでは 空を仰ぎ…こみ上げる涙を 必死にこらえて読み続けました。

<この特攻がお母さんに対する最初で、最後の親孝行となります、お元気でいて下さい>
<もう 友は機上しました、私も今翼の上で 書いてます。本当にこれでサヨナラです…>
<では、行ってきます。明日の夜には 蛍になって帰って来ます…>

阿修羅像の下で特攻で散って行く絵画がありました。
お釈迦様でも観音様でも菩薩様でもなく 、阿修羅像の下で 散って行く 特攻の姿です。
もっと生きたい! なぜ ? 畜生! お母さん !! ・・・そんな叫び声が聞こえて来ます

知覧から海の上を一人で、250㎏ 爆弾を積んで 約500㎞を死ぬ為に 飛び続ける間
若い、本当に若い彼等は 何を考えていたのか… それ思うと 涙が出て来ます。
突撃の瞬間、彼らは阿修羅の如く 突っ込んだのでは無く
彼らの 言いようのない 怒りや悲しみ、恐怖 を 阿修羅が見守ってくれたのだ…と 思います
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