(株)環設計のブログです。 最近思った事や、建築に関する近況などを書いていこうと思います。 |
令和元年 11月 30日
明日から12月、師走です。その前に今月を振返ると実に多事多彩、諸事所用の多い月でした。
何と言っても 11月16日<とちぎ木造塾>を開校出来たことが最大の喜びですが
一方で 9月からの 設計料未払い騒動が、無事解決した事にもホットしています。
事の起こりは昨年3月中旬に、友人から建主を紹介され、
今年の11月に竣工したいので設計をお願いしたい、との依頼を受けました。
その後 7月上旬までの約3ヶ月半の間に打合せ 6回、基本計画案を7案作成~
現地平板測量やレベル測量なども行いました。
また建主夫妻からは打合せの内容について色々な希望がメールで送られて来ました
ところが7月中旬のメールで、銀行融資がナカナカ難しい状況と家族内の問題が発生した為、
しばらく延期したいとの連絡が入りました。
融資関係や家族内の問題は、設計期間中に往々にして良く発生する問題の為、
<了解しました。解決の目途が立ちましたら又ご連絡ください>と返信し、
今年の年賀状でも、その後いかがですか?と書き添えました。
今年の 9月、たまたま建主夫妻の近くを通りかかると、何と工事中! 屋根や外壁も終わり
内装工事を施工中に見えました。また平面や外観も当社の提案した計画案に類似しているように思えました。
そこで9月中旬に紹介者の友人に<当社へ一言も連絡ないのはどういう事か、
また設計料に関してどう考えているのか>と 疑問を問い質し、建主からの回答を依頼しました。
また当社の掛った費用は実費計算で基本設計料¥60万との見積書も提出しました。
以上の質問に対して
<こちらの希望に対してあまり言う事を聞いてくれない為、違う設計事務所に依頼した>
<設計契約はまだ行っていない為、設計料を払う必要は無い>
との回答が先月の10月上旬、知人を介してありました。
上記の2つの反論は設計料を拒否する時、ほとんどの建主が口にする言葉です。
しかし設計契約は締結していなくても、建主からの指示書や打合せ議事録が残っていれば
設計契約は成立していると認められています。
また<積極的に対応してくれない為>には<ではモット早い段階で不満を伝えなかったのか>
と問われ、建主の主観的な意見と見なされています。
そもそも設計とは<建主の要求に対して専門的立場から その可否を考え、更にMore Betterな提案を行う事>
であり、その為の報酬が設計料です。
言う事を聞いて設計するだけならば、設計施工で依頼すれば済みます。
ともかく <バレなければタダで済まそう><今までの打合せはサービス業務だ…>と言う感覚です。
10月下旬ごろ仲介者の友人が、現場の測量代として¥10万 支払います、との提案を持ってきました
私は建築士という資格や設計という業務に対して、上から目線で軽んじる夫妻に猛烈に反発心を感じました。
このまま泣き寝入りしては<設計業界の恥になる!>との思いから 11月中旬に
知人の弁護士に相談に伺い、簡易裁判所に少額訴訟の手続きを進めるよう、お願いしました。
弁護士によると 商法 512条には<商人がその営業の範囲内において他人の為に行為をした時は、
相当の報酬を請求する事が出来る>と定められている、から胸を張って裁判官の前で主張しろ!
と元気づけられました。
その結果、11月下旬に急転直下、相手方の弁護士から和解案が提示されました。
建主夫妻が基本設計料として、金額は少額だがその対価を支払うという事に同意しました。
私としては 金額の多少よりも、設計を業務をとして建主夫妻に認知させたことが、大きな喜びです!
昨年の7月下旬のメールに 一言<設計は中止します>と言って貰えば、私も早い段階で対処出来
こんな騒動には成らなかったものに…と悔やまれます。
繰り返しますが<バレなければタダで済まそう…>は大人の社会人のとるべき態度ではないですよね。
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R元年11月18日
<とちぎ木造塾>が11月16日(土)無事開校しました。
当日は通年受講生 44名、公開講座受講生 10名 栃木県建築課、林業木材産業課から5名
他関係者など 約65名の参加者が熱心に AM9:30~PM4:30まで参加してくれました。
午前の第1講座は 木材の破断実験です。長さ6.0m×断面 12cm×36cm の杉の大梁を
曲げ試験で破壊する瞬間は 大砲が炸裂したような大音響がとなり、一瞬全員腰を抜かしそうになりました。
他にも長さ3.0m×断面 12cm×12cm の杉の柱を引きちぎる 引張試験では
※木の柱を引っ張って、引きちぎるんですよ!信じられますか?
ともかくもの凄い力で、節の部分から見事に引きちぎられ唖然としました !
ほとんどの参加者が破断試験を見るのは初めての為、見知らぬ他人とビックリし合ったり、
小学生のような好奇心で係員の説明に質問しており、破断実験は大成功でした!(^^)!
午後の第2講座は東大名誉教授の有馬先生の木材と木質材料の特性 についての講座です。
有馬先生は今年77歳の高齢ですが、林業や木材業界ではカリスマ的存在の先生で、
宇都宮まで講演に来ていただけるとは!…と県の林業課の方々が感激していました。
ともかく、地球温暖化防止と林業との係り等グローバルな話から
木材の含水率、<決める>と<決まる>の違いによる木材強度の測定…等
木材の特性についてキメ細やかに、ユーモアを交えながらの講座で、アット言う間に4時半となりました。
最後に 当日の開校式の 私の主催者挨拶を添付させて頂きます。
(一社)栃木県建築士会 会長 青木格次
おはようございます。本日は <とちぎ木造塾>に参加頂き有難うございます。
この木造塾は栃木県の木材と木造建築の需要、拡大を推進する為に開校いたしました。
開校にあたりましては 栃木県の建築課様や林業木材振興課様、また栃木県木材業協同組合連合会様の
ご支援を頂き、開校する事が出来ました事 心から感謝申し上げます。
さて21世紀を迎え令和の今、木材と木造が大きく見直され、大きく飛躍しようとしています。
そしてその為にも建物求められる大きな機能が3つあります。
1つ目は 地震に強く、火事に強い耐震性&耐火性、2つ目が断熱、気密や遮熱性に配慮した省エネ性、
最後が環境や健康に優しいエコロジー性です。
そしてこれらの全てを 現在の木材と木造は満足する事が出来ます。
木造塾のカリキュラムはこれら3つのジャンルを中心に、更に木材の流通や、
設計段階での体制作りや事例報告…等を含めた4つの分野で、
現在の日本の建築会を代表する先生方を講師にお招きしておりますので、楽しみにしていてください。
講座は本日から来春3月7日までの5ヵ月間、7日間に渡り 延37時間の講義となり、
通年受講者の方にとってはかなりキツイ講座となると思いますが皆様の勉強や仕事の役に立つことは
間違いありませんので、最後まで頑張って下さい。
私も受講生として参加しますので宜しくお願いいたします。
では今日一日宜しくお願いいたします。
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令和元年 11月11日 本日70歳、古稀の朝です。
60歳の還暦の朝に、大洗海岸で朝日を拝みつつ還暦の誓いをしたのを思い出して、
早朝の4時20分 家を出ました。途中から小雨となり、朝5時45分の到着時は本格的な雨となり
結局、10年前と同じく雨の中で、太平洋を眺めつつ 古稀の誓いをして来ました。
でもこの10年間で、生活が多少安定して来たせいか、又は年を取ったせいか…
ともかく、10年前のような感傷的な気分とは遠く離れて、<80歳までは仕事をします!>という
実に現世的誓いというとなりました。
という事で 10年前の還暦の誓いを懐かしく読返してみましたので、紹介させて頂きます
<還暦の朝を迎えて>
平成21年11月11日早朝5時半、六十歳の還暦の日の出を見ようと大洗海岸に立った。
季節はずれの豪雨の為、日の出は見られなかったが目の前の海は40年前と変わらなかった。
ソウ40年前の同じ日、二十歳の誕生日の日の出を俺はこの場所で眺めていた。
70年安保闘争真っ只中でズルズルと日々を過ごす自分に嫌気が差し、
水戸の下宿先から六時間歩いてこの場所に辿り着いた。
そして日の出を見ながら、やはり早稲田の建築科に進もうと決断した、
あの時が今に続く俺の人生の幕開けだったのだと思う。
そして三十歳の誕生日に、養子先の家業の材木屋の跡継ぎになるのを嫌って飛出し
設計事務所を開業、叔父からは人非人と呼ばれ、車はあってもガソリン代は無く、
打合せに自転車で半年近く走り廻っていた。
三十二歳で養父母の反対を押切り結婚した為、養子縁組を解消され
30年間慣れ親しんだ増渕から本姓の青木に戸籍が変更されたのもこの時だった。
長女を五歳で亡くした時は、何故娘が、何故我家が…と神も仏も恨み、
やり場の無い悔しさに酒をあおり,新興宗教に傾きかけた時もあった。
事務所開設して13年目で株式会社に法人化は出来たが、
経営は慢性的に苦しく 21年目には家主から期限付き撤去を求められた。
八方塞の中を金策に駆け巡り平成14年にヤット自分の事務所を持つ事が出来た。
しかし借金を返し終わったのはまだ一昨年の事だ。
まだまだ安定した生活は望むべくも無いが、でも苦しい時に手を伸ばしてくれ、
背中を押してくれる人達が何時も周りにいてくれた。
それは宇高の友人達でありロータリークラブや仕事仲間達であったな、
と思いつつ目の前の荒れる海を見ていて、何時の間にか森進一の<お袋さん>を口ずさんでいた。
歌と共に養母の顔が、思い出が走馬灯のように海に浮び涙がとめどなく流れ出した。
あなたが育ててくれたから今俺はここに生きている、というあまりに当たり前の事に本当に気がついた。
人生とは人に生かされ、人と生き人を生かす事ではないかと気付いた。
小さく言えば親に育てられ、妻と生き、子供を育てる事であり、大きく言えば社会や学校に育てられ、
仕事を通し社会と生き、仕事を通し子供達に明日を繋いでゆく事ではないかと思う。
この40年間、俺は有難いほど人に生かされて来た。
これからは人と生き、人を生かす事を目標に仕事を通して社会奉仕で生きてゆこうと誓った
人生第二幕の幕開けの朝となった。
正月早々叔父から、実父の写真が出てきたから取りに来いと連絡が入った。
自分の子供よりもまだ若い、軍服に軍刀を下げた22歳の凛々しい少尉姿の父の写真であった。
還暦を迎え、生れて初めて見た実父の写真に涙が止まらない良い正月を今年は迎えた。
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