40年前、私が大学を卒業してお世話になった建築事務所の所長が、昨年の7月に、
そして今年の1月には、公私にわたり面倒を見て頂いた設計の先輩が
共に70歳の古希を迎えられました。
そこで、昔の仲間に声をかけ、40年ぶりに両先輩の古希を祝う、同窓会を開催しました。
40年ぶりではありますが、全員建築の世界で生きている者同士であり、
個人的には各自が交流を持っておるので、全く40年ぶりの再会!という劇的な同窓会ではありませんでした。
しかし、40年ぶりに全員(当日の参加者は16名ですが)が顔を会わせると
さすがに40年間のお互いの無事を喜び合う言葉がまず飛び出し、次に互いの健康を祝して盃をあげる、
その後は、思い出話の連続で時の経つのもスッカリ忘れました。
そんな中、40年前には幼稚園生だった所長のご長男が、今年は42歳の厄年を迎え、
今は大手ゼネコンの立派な課長さんとなり、小学4年生のお子さんを連れて参加して下さいました。
この時ばかりは、40年の月日の流れをシミジミと実感しました。
仲間達は白髪が目立ったり,頭が薄くなってはいますが、30分も話をすれば昔に戻ってしまいます。
しかし所長のご長男の立派な姿や、まして40年前に2歳のあの幼稚園のボクのお子さんを拝見すると
間違いなく40年間が過ぎたのだな~!と実感した次第です。
プライベートな話をもう一つ
結婚以来33年間、元気だった女房が前述の同窓会の後、入院しました。
手術も終わり、5月の連休明けには無事退院出来そうで、まずは一安心です。
しかしこの10日間、毎日が仕事と家事に明け暮れる忙しい日々でした。
いつでも、どこにいても、何かが 欠けている…ソンナ気分です。
やはり33年間という月日の流れが、体にシッカリ染み込んでいるのでしょうね。
ともかく自分を振返り、思い起こせば恥ずかしい所業の数々にキリがありませんが、
私も70歳の古希までは<自分の考える設計>を続けるつもりです。
60歳を過ぎてからヤット、自分の設計が見えて来たように思えるのです。
これからの6年間は設計を通して 自分の為、建主の為、社会の為に社会奉仕、職業奉仕を目指します。
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4月4・5・6 の3日間を掛けて①出雲大社 ②厳島神社 ③伊勢神宮 と参拝して来ました。
一日目は羽田から飛行機で出雲空港へ、そのまま出雲大社参拝、玉造温泉ホテル玉泉泊り。
二日目はバスで 出雲から広島まで3時間半のバス旅行で 厳島神社参拝、その後またバスで北九州門司まで移動
門司から瀬戸内海クルーズの豪華客船<つくし>13,000トンで瀬戸内海をナイトクルーズ
三日目の早朝、泉大津に到着、バスにて一路 伊勢神宮へ、参拝後お祓い通りとおかげ横丁散策
夕方、名古屋から新幹線で東京、宇都宮と 結構優雅な旅でした。
まず60年ぶりの式年遷宮が成った出雲大社の巨大さ、高さ24mに圧倒される。
しかし鎌倉時代はこの倍の48mあったとの事!古代は更に60m?…
なぜそんなに高さが必要だったのかな? そこで思い出しました!
藤森照信氏が<古代、一面の原生林の中で目立つ為には、ひときわ高く聳え立たなければならなかったのです>
という言葉が、実感としてヒシヒシと感じました。
勿論、大和族に対する出雲族の権威を見せることも含まれていたのだと思いますが…
次に、安芸の宮島、厳島神社。丁度満潮と重なり、背景の山々は桜が咲き誇り、まさに絵葉書のような美しさでした。
(実際の天気は曇り空での 風の強い、寒ーい日でしたが)
4年ほど前に参拝した時は、干潮で海底が見えていましたが、今回は満潮の厳島神社を海の上からも見学出来ました。
しかし木造だから海の上に建っていられるので、鉄骨造やコンクリートでは多分、持たなかったと思います。
日本の木の文化に改めて感激しました。
最後は伊勢神宮です。今までに3回ほど参拝していますが、今回は外宮も参拝しました。
外宮を垣根越しに参拝していたら、小雨の空が急に明るくなり、青空が一気に広がり太陽の光が燦々と降り注ぎ
外宮を照らし出しました。正に神憑りでした! 周りの空間が一時、厳かな静けさに包まれました。
と思ったら今度はみぞれまじりの雹が降り出し、天照大御神の何と気まぐれな事よ呆れ返りました。
しかし、神官の直衣、直垂の姿の美しさ、真っ直ぐな杉や桧の大木の美しさ、そして何より神宮の簡素で清楚な美しさ
…やはり伊勢神宮は、日本人の心の姿ですね!
三つの社を廻って、日本人の心の原点を改めて感じた旅になりました。
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